ケンシロウ日記

思ったことを思いつくままに。

助けて欲しくて。私はカウンセラー難民だった。

前回記事からの続きです。

 

 

その気持ちがわかると言われても何の解決にもならない

 

「子供の話をして、ただ(その気持ちが)わかると言われても何の解決にもならない」

 

マイコ先生が印象に残っていたという私の言葉。

 

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講座受講の初期のことです。

カウンセリングに重要なのは「受容」と「共感」。

 

先生のメールに書いてあった私の発言自体は覚えていませんが、受講生のくせに、その内容に腹が立ったのを覚えています。

講座の受講も終え、勉強を重ねた身とすれば、答えはその人自身の中にしかないことを知っているし、その意味で、「受容」と「共感」の意味や必要性、重要さが身にしみて分かるのですが(号泣で反省)、当時の私は「共感」が大事と言われて、言いようもないフツフツとした思いに襲われていました。

 

 

 

私はカウンセラー難民だった。

 

 

数年前、いや正確に思い出そう。私はカウンセラー難民だったといえます。2010年~2011年です。

 

子育てに疲労困憊していました。自力でもうどうしたらいいのか分からなくなっていたし、日々が地獄のようにきつかった。学校、役所、子育て支援先や児童相談所や悩み相談室。挙句、民生委員の方にまで相談の幅を広げても、私の中で明確化されてもいない望む支援にたどり着くのは、途方もなく遠いことでした。実際、当時は支援がどうとかというレベルではなくて、ただ、少しでもここから助けてほしいという気持ち。もう限界なんです。

 

「そうですか。お気持ちよくわかります」と、気の毒そうな顔はされるものの、誰もここから楽になんてしてくれない。わかるって何がわかるの? これほど限界を感じているのに!! 当たり障りのない、もうすでにやり尽くした子育てのアドバイスや提案を受けながら、今度こそ、今度こその願いは崩れ、私は次第に無表情になっていきます。

こんなにも苦しいのに。どうにかしたいとあがいているのに。苦しい自分を楽にする答えがどこにもない。

 

諸事情で夫の助けを得ることもできず、愚痴を吐露することさえ叶わず。周囲にいてくれた友だちに支えられていたのも力を得ていたことも間違いないことですが、それでも、この子育てについての問題を解決するのは自分でしかなくて。孤独でした。恐ろしいくらいの孤独でした。

 

たった1人で、目の前の黒く大きなでこぼこの壁に圧倒されながら、その壁をよじ登っては落ち、よじ登っては落ち、を無駄に繰り返しているみたいでした。もう立ち上がれないほど痛めつけられて心はアザだらけ。未来に対して、光が見えなくなりそうだった。見えない光を信じて、必死で立ち上がるのだけど、あまりに見通しが悪くて心細くて。

 

この状況を変えるために、私はどう行動したらいいのか。考えられるあらゆる事は頑張ってきた。でも、もう限界なんです。ここからどう動いたらいいのかを具体的な方法教えてください。

「そうですか。お気持ちよく分かります」

 

 

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今になって思えば、当時、私が受けていたカウンセリングと呼んだものの多くは「無料」のものばかりだったので、そもそものスタンスが違ったのかもしれません。問題解決における私の課題を明確にしてくれたり、それじゃあどのような方策を立てればいいかとか、そういうことではなく、「いつでも話を聞きますよ」「話すだけでも楽になるから」という受け皿が大事で、私が期待した道筋やゴール地点が違っていたのかもしれません。実際、話すことは思考を整理することにもなるので、話しているうちにスッキリしたり、問題解決の糸口を自分で見つけられる、というのはよくあることですから。

 

 

その後、カウンセリングについても勉強を重ねると、彼ら彼女らの言動には先があったのかもしれないと思う部分もあるけれど、「助けてほしい」一心でどうにかカウンセラーのもとに、それこそ這うようにして大袈裟ではなく必死でたどり着く私が、失望した気持ちを抱えてもう一度同じカウンセラーの元を訪ねることはとても苦しいことでした。

それでも、有料でカウンセリングを受けるという発想がなかった私は、役所、子育て支援先や児童相談所や悩み相談室をぐるぐる回り、結果、絶大なる信頼を寄せることになる私とってのカウンセラーさん見つける事にはなるのですが。

 

 

私は子育てで、どうしていいのか分からなくて本当に困っていたし、しかもその困りは半端なく、もう子どもと一緒に暮らしていくことは無理なのではないかというところまで追い詰められていたので、あそこまで気持ちを奮い立たせて、「私の」「カウンセラー」を見つけることができはしましたが。自分で言うのもですけど、相当な精神力がなければ、日常生活でヘトヘトボロボロなのに、傷つけられることを求めて「相談所」難民することなんて、余程のマゾヒストでなければ出来る事ではないと思いますよ。

……。

読者の方には、「ああ。このひとMなんだ」、などと短絡的に結論づけられることのないよう祈っています。

 

 

私と違って早々に合格をしていたキャリコンの講座の同期女性たちと最近になって(しつこいけど書こう、私以外の三人は初回で国家試験合格!)

一緒に飲む機会があり、マイコ先生のお話もしたんですが(休講振替でお世話になった先生なので他の同期はマイコ先生を知りません)、先生がおっしゃった 「子どもの話とかして、ただわかると言われても何の解決にもならない」と私が言ったという同じことを、一人が覚えていました。もともと産業カウンセラーの資格を持ち働いている方です。

 

「あ!私それ覚えてる。私、そのテーブルに一緒にいたんです。1番最初の時の講座なんですよ。それで、シェリナナさんがものすごく本気で話していて、ああこの人は何度も何度もその機会 (カウンセリング、相談)に傷つけられてきんだろうな、って思ったの。すごく印象に残ってる」

講座は、 6人程度でグループを作り、題材に応じてテーブルごとにディスカッションを行いながら進行していくものでした。

 

 

私自身がどういった形で発言したのか……。やはりはっきりとは覚えていません。

無理やり記憶をたどればテーブルのディスカッションではなく、全員に向けて話をしているので、個人として挙手しての発言だったのか、あるいはグループの代表として話をまとめたときのものに、自分の意見を無理矢理ねじこんでしまったのか。

 

マイコ先生と同期の2人から証言が取れるという事は、私は怒っていたんでしょうね。きっと。(^^;)

今であれば、カウンセラーが「共感」と「受容」をもってクライアントと向き合い、それによってクライアントが安心して自分のことを開示できる状態を作る。その関係構築を作ることがカウンセリング初期においてどれだけ大切なことであるかは当然として、いかに難しいことなのかということを、重みを持って受け止める次第ですが。

 

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さて。私の転職活動は、その後も瞬殺の書類選考落ちを繰り返していました。

 

続きます。 

 

 

eikosatoko さんへ

いつも本当にありがとうございます。コメント欄からの返信が出来ないみたいでこちらに失礼します。eikosatokoさんが思っておられる以上に、私は力をいただいています。

 

 

画像by pastel flower さん