ケンシロウ日記

思ったことを思いつくままに。

被害者の顔写真は必要ですか。

 またしても子供が犠牲になる事件が起きました。

同じ子供を持つ者として胸が塞がれます。

そしてまた当然のように被害者の顔写真が報道されます。

 

報道の自由があります。ウィキペディアによれば「報道の自由とは、日本では報道機関がさまざまな表現媒体をもちいて、国民の『知る権利』に奉仕する存在である」とありました。とするならば、マスコミは国民の『知る権利』に応えて取材もするのでしょう。報道は実名が基本と聞きますから、加害者はもちろんですが、被害者も実名報道となることは理解できます。

 

加害者の顔写真のみが報道されないことがあります。被害者はさらされるのに、加害者は守られる。このような意見もよくなされます。心情的にはともかく、加害者の顔写真が報道されないことについては、素人感覚ですが理解はできます。加害者が未成年であれば少年法による所ですし、加害者に配慮すべき事情がある場合、あるいは冤罪が疑われる場合、逮捕されただけの段階で刑が確定していない場合など、何らかの理由が存在するのだと思います。

 

しかし、被害者の顔写真はどうでしょう。

被害者が最悪の結果を迎えた場合、ニュースでもワイドショーでも被害者の顔写真を報道します。それらの顔写真はいつもピンボケであったり、集合写真の切り抜きであったり。多くはご家族の方が提供されているとは思えないものです。そしてそれらの写真は、このネット社会において拡散され、拡散された写真は半永久的に残ると言われています。

 

私は、私の家族が、万が一にも被害者となったとするなら、私が提供するならともかく(とても提供する気になどならないと思いますが、その時の心境はその時でなければわからないと言う意味で)、いつ撮ったかもわからないような 適当な写真を、許可なく一方的にTV上にさらされる事は耐え難いことです。事件被害者として顔写真が報道されるという事は、その時点で最悪の結果を受け止めなければならない状態であり、そのような衝撃と混乱の中で、ある種、暴力とも言うべき報道のあり方に意義を唱える心の余裕などおそらく全くありません。心を殴られ続けるだけです。ただでさえ、回復に困難をきたす被害者ご家族を、私は視聴者と言う立場でさらに傷つけています。

 

非常に線引きが難しい問題だと思います。例えば、親による虐待で亡くなった子の場合等であれば、一概には言えませんが、顔写真を報道した方が良いと思われる場合も少なくないでしょう。報道されることによって私たちはより子供の立場に思いを馳せ、深く考えるきっかけにもなります。

 

 

前述したように、「報道の自由」からの『知る権利』があるという。事件のあり様や、その後の対応策を考えるにあたり、年齢等最低限の個人情報は必要だと思います。しかし、被害者の方のお顔は、被害者のご家族をさらに深く傷つけてまで、知っていい権利なのか。そんな権利があるのか、甚だ疑問です。

 

顔写真はいりません。もし私が被害者の方のお顔を知りたいと思うときは好奇心に過ぎないでしょう。そんなものに応えるための報道などいりません。