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シェリナナ日記

思ったことを思いつくままに。

日本人人質事件<後藤さん殺害>について。自分ごととして想うことの苦しさからどうやって気持ちを立て直すか。

 昨朝のニュース衝撃を受けました。

ネットで見た後藤さんのツイートをご紹介します。

 

「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」

 

「そう、取材現場に涙はいらない。ただ、ありのままを克明に記録し、人の愚かさや醜さ、理不尽さ、悲哀、命の危機を伝えることが使命だ。でも、つらいものはつらい。胸が締め付けられる。声に出して、自分に言い聞かせないとやってられない」

 

昨日は、気を抜けば後藤さんのことで頭がいっぱいになり、何度も深い悲しみに心を奪われそうになりました。家族にも、なぜそこまで、と言われるほどでした。

子どもを守るのは大人の責任です。しかし、後藤さんの活動に理解と尊敬はしても、到底真似できるものではありません。多くの人に真似できるものでもありません。後藤さんの言葉や、映像に触れてしまってから、生きて帰ってきてほしいという気持ちがものすごく強くなっていました。

 

本当に残念です。ご家族のご心痛を思うと言葉がありません。

 

自分でも驚くほどに、テロ組織に対して憎しみの感情を覚えました。有志連合を支持するような思いが一瞬よぎり、私にとって初めてのその思いに驚きました。

 

1914年に起こった第一次世界大戦。この第一次で世界大戦の直接の原因になった、サラエボ事件を唐突に思い出しました。オーストリアの皇太子夫妻がセルビア人に暗殺された事件です。三国同盟三国協商を背景に下地ができていたとはいえ、中学時代、なぜ、たったひとつの暗殺事件が、世界大戦を引き起こしてしまうのか、理解ができませんでした。

それがある意味、今回初めて、大戦の引き金になった事件が引き金になり得た理由が、歴史的視野からなどではなく、個人的な感想として理解できるような気がしました。

 

後藤さんが最後に残した映像を思い返します。「自分に万一のことがあっても、シリアの人を憎まないでください」と言うあのメッセージ。後藤さんは、私にも一瞬よぎった、この人間の持つ愚かさを、よくよく知る人なのだということを改めて知らされました。

 

私は、日々起こる様々な事件や出来事に対して、共鳴しすぎるところがあります。それは、ニュースになるようなことだけではなく、日常的な出来事の中でもそうです。若い頃は、この厄介な感受性がとても嫌いでした。持て余し、コントロールが出来ませんでした。辛い事件や、他人が傷つくことに、いちいち傷つきました。

年齢を重ねた今の私は、家族でもない私が、ただ後藤さんの死を嘆き悲しむことに意味を持たない事を知っています。意味を持たないだけでなく、ネガティブな感情にただ支配されることは私にも他にも何も生まず、いいことなど1つもないことも知っています。それほどまでに本当に悲しいのであれば、この気持ちは、別のものに向かわせ乗り越えた方が良い。

後藤健二さんと言うジャーナリストのことを知ろうと思います。後藤健二さんが何を伝えていたかを知ろうと思います。そしてほんの少しでも、他国の戦火にある子どもたちや、弱者と呼ばれる方たちに思いを馳せようと思います。それが何もできない個人である私にせめて出来ることだと思うから。

自分ごととして想うことの苦しさからどうやって気持ちを立て直すか。それは自分に何ができるかを考え、それが仮に誰にも知られない小さなことであったとしても、行動を起こすことだと思います。

 

後藤さん、湯川さんのご冥福を心からお祈りいたします。