シェリナナ日記

思ったことを思いつくままに。

「自己責任」「自業自得」。今 言わなければならないことですか。

非常に難しい問題で、軽々しく書くことができなくて、ずっと悶々として思いを抱えていました。 自己責任論のあまりの大きさに戸惑います。

擁護するにせよその前に「自己責任とはいえ」などのように前置きがつく。
 

ただただ、助かってほしい。生きて帰ってきて欲しい。 色んな見解はあっても、ここは多くの日本国民の同じ思いだと思う。

 

テロに屈しないことの理由に、被害者の方々を「自己責任」や「自業自得」という言葉で非難する必要があるのかと疑問に思います。 要求を呑むか呑まないかと言う選択を迫られてる今だからこそ、呑まない理由としての「自己責任論」が必要なのだということなのでしょうけど。

 

仮に。仮に、です。自業自得と呼ばれる部分があったとしても、今回の事態のみならず、様々な犯罪にも言えることとして、被害に遭うという時点で、既に十分すぎる仕打ちを受けている。それに追い打ちをかけるように、被害者の方や被害者のご家族の方を傷つける必要がどこにあるんだろう。 もちろん結果的に、国を巻き込む事態になってしまった事はとてつもなく大きな問題だし、どんな理由があっても、このような事態になったことは被害者の方に何らかの見誤りがあったことには違いない。そのミスによって、国税が使われることに対して、迷惑をかけられているという意見があることも理解できないわけではない。

 

「行くこと事態が問題であり拘束されるのは当然のこと」

「日本国民に迷惑をかけるな」という文字を見ました。

 

私は幸いなことに現在の日本に生まれ育っています。 ”その地”に生まれ、生活をしている弱者と呼ばれる一般の人たちに、まなざしを向けるジャーナリストがいなかったら、”その地”に生まれる子どもたちにどんな未来があるのだろうと思います。

日本だって、つい半世紀少し前まで、国のために命をかけることは国民として当然であると声高に叫ばれているような国でした。不幸なあの戦争の敗戦による他国の介入がなければ、日本だっていつまで、今とは全く違う方向へ益々に突き進んでいたかわかりません。

政権に抑圧され虐げられている民間人の生活は、支配下にないところから彼らの生活を知ろうとする人がいなければ、そしてそれを世界に伝えようとする人がいなければ、知りようがありません。

馬鹿げた発想だと言われるのを承知で言えば、この日本が危険だと世界から恐れられる地域だったとして、危険だからと、世界の誰もが見て見ぬふりをする世界なのだったら、私は未来にどのような希望が持てるでしょう。

恐ろしくて何の行動もできない私のような人間とは違い、使命を持って活動される方々がいる。

 

自分の行動に責任を持つという意識は大切だと思います。だけど誰もが、誰かに迷惑を掛けながら生きている。

自己責任という言葉は、本人が他者に責任を負わせないという覚悟をする際、あるいはそれを自覚させる際等、事前に使う言葉ともいえます。「被害者」となった方の行動に意見する場合に使う言葉なのかと疑問に思います。その言葉を受ける対象者は、自己責任を問われる以前に、既になんらかの痛手を負っている「被害者」です。

 

「他人を救うために取る行動よりも守るべきものが他にある」などと言う意見は、守られるべき家族やその近親者のみが言える発言で、その家族に何の責任を持たない他人が容易く口にできるものだとも思いません。

 

どうか助かってほしい。生きて帰ってきて欲しいです。

 

 

「拝啓。小山薫堂特別編集長」

人はやさしさに触れるとどうして涙が出るんだろう。

 

今更なんだけどAERAの増大号を見た。『大特集』「やさしくなりたい」。

 

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冒頭のグラビアは、熊本が誇るアイドル「くまモン」にキスされた女の子の笑顔。

 

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言う必要もないことだと思うけど、言っておかなければ居心地が悪いから言えば、私は子どもが苦手。好きではない。嫌いとまで言えば、それはまた少し違うのだけど。

 

 

だけど「くまモン」に、ほっぺにキスされて笑うその女の子の笑顔はとてもよかった。見ていると、なんだか心が丸くなる感じがする。体のどこかをくすぐられているような。照れくさい感情を呼び起こされる感じがして「いやいや、私、子ども、苦手ですからっ!!」と慌てて言わないと、なんだかズルしている気がする。

子どもがこんなふうに笑って成長できる社会だったら、きっと悪質な犯罪なんてなくなるんだろうな。

 

 

無知な私は、今回の増大号の「小山薫堂特別編集長」も知らなかった。

 

心なごむ、ハートを鼻で隠した子どもの顔のようなイラストと

「やさしくなりたい」というAERAらしからぬ(と私は感じる)タイトルに惹かれ、手に取った1冊。薄いページの中にはやさしさが、嫌味なく押し付けることもなく、そっと詰め込まれていた。

少ないページの割に熊本の記事が多い気がした。熊本出身の私は、熊本びいきを感じて嬉しくなって購入してしまったのだった。ありがとう、魅力を紹介してくれて、という気持ち。

なんのことはない。小山薫堂さん、同郷だった。そりゃあ、熊本のやさしさを知るはずだ。

 

「雑誌だって読んだ人が元気になったり、幸せな気持ちになったりしなければ、存在する意味がない」というAERA編集長の浜田啓子さんの言葉も素敵だ。

 

 

小山薫堂特別編集長の編集後記にこう書いてあった。

 

 

『やさしさとは何でしょう?』

 

それは誰かを叱らないことでも、自分が怒らないことでもありません。

「他を想う力」です。

この世に存在する万物を“自分ごととして想う”ことが

「やさしさ」につながる、という考えに僕は至りました。

そしてその考え方は人を謙虚にします。

感謝の気持ちを芽生えさせます。

 

 

次のページには、小さなフォントサイズでびっしりと、全スタッフと協力者の名前がクレジットされていた。

それを見ていたら、どうしてだか上手く説明できないのだけど涙がでた。

 

小学生の娘がそのページを覗きこんで、そしてすぐに、私が気が付かなかったことを教えてくれた。びっしりの赤文字の中。黒文字で「ありがとう」という5つの文字がちりばめられていた。くーっ。こういう遊びゴコロもさりげなくていい。

 

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この世に存在する万物を“自分ごととして想う”

そんなところから意識して、今年を生きてみようと思う。