お休みのご連絡とお礼。
ふと気が付くと、およそ1ヶ月が経ってしまいました。年末も、新年もご挨拶もせずに、大変失礼しました。
このブログの読者登録は47名の方がしてくださっています。その存在だけで励まされてきました。本当にありがとうございます。
おかげさまでホームページができました。今年になってから公開し、お仕事も開始です。どういう形で告知をしていったらいいのか、未だ迷っている最中です。仕事も、一過性でなく知っていただかないことには継続できません。ともかくは、ホームページの方でのブログを書いてみようと思います。
ご承知の方もいらっしゃるかと思います。もしかしたらご承知の方のほうが多いかもしれませんが、私は子育てブログもつらつらと続けています。
書くことが好きなので、ブログの本数でネタに困ることもないのですが、持病の腕痛は指先にも及んでいて。スマートフォンを使うのも10分程度で痛みを感じます。それほど痛みを強くは感じない時でも、ほぼ毎日、5枚から10枚もの湿布を貼っていることからも、結構痛いのかなと自覚したりします。不経済なので、 2分の1から4分の1になるように切って使っています。しかも肌が弱いので、同じ箇所に貼ることができず、だけど痒くなって1番痛いところに貼れない日もよくあります。
考えてみたら、就活うまくいかなくてよかったのかもしれませんね。半分強がり、半分本気で思います。もしもどこかで雇っていただけていたら、報告は当然パソコン業務になるし、結構辛い思いをしたでしょう。
このような状態なので、今更ではありますが、少しこちらのブログはお休みをして、ホームページのブログの方を更新してみようと思います。 3つものブログの更新は腕に負担を掛けると思うので。
あ、こんなふうに言うとお別れみたいで少し寂しくなるな。
ここを読んでくださっている方には、すでにお気づきでご存知の方のほうが多いかもしれませんが、ホームページはこちらです。
ホームページのブログはお仕事として、意識して更新していきたいと思っています。内容は、素で行くか、ちょっとキャリアチックにカッコつけて書くか決めかねているので、迷走すると思いますが、こちらにも訪問いただければとてもありがたく思います。
ご挨拶が遅くなって本当に申し訳ありませんでした。コメントをいただいたことも、スターをいただいたことも、嬉しかったです。読んでくださってありがとうございました。書いていてとても楽しいブログでした。
心から感謝をしつつ、一旦のお休みのご挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。
画像by @pastel11flower さん
娘には生きていくための仕事に対して、興味関心を持っていてほしい
おはようございます!
おかげさまでホームページもほぼ完成しました。
自分でやったらわりとあっという間で。
考えるよりも行動した方が早いんだなと、目の覚めるような気分です。
ホームページの内容は、個人的なカウンセリングを打ち出しているんですが、勉強すればするほどに「キャリア教育」というものに興味を持ってきています。
というのが、ご存知の方はご存知なんですが、私が人生においてやらなくてはいけないことの1つに「娘の自立」というテーマがありまして。
これが、想像するになかなかハードルが高くてですね。この子がどうやって1人で食べて生活していけるのか、と。
とりあえず会社員、無理ですから。決めつけるな、と言われると思いますが、わりと決めつけています。はっはっは!
それでも娘が、会社員やりたいって言うなら止めませんし、応援します。無理だと思っていることなど娘には言いません。無理だなんて、私の思い込みに過ぎませんし、おおよその悩みや問題は思い込みによるところも大きいですし。まして可能性は娘のものだし、娘の人生です。好きに生きてほしい。ただ親としてはね。できれば楽に生きて欲しいなと思うのでね。彼女に組織に属する会社員は辛いだろうなあと(^_^;)
たった今無理だと豪語したばかりですが、実際にはこれからは、彼女の特性に合う会社も組織も増えていくと思ってもいます。ただ、私なりの見立ては娘に伝えようと思うし、組織に属するというのであれば、彼女はその場所で相応の努力が必要になるでしょう。その努力を乗り越えるには、特性のある彼女がやりたいことを明確にし、その仕事理解を深める必要をがあると考えます。
娘はまだ中学生ですけどね。漠然としていて良いから、そういう将来の事に対して、言いかえれば生きていくための仕事に対して、興味関心を持っていてほしいと思います。
「キャリア教育」というのは、まあ定義はめんどくさいものが色々あるんですけど、簡単に言えば子供たちの勤労観や職業観を育てるというものです。
そういえば、別に書いている子育てブログで、数年前に「娘が18になったら自立させる=家を出す」と書いたことがあります。人に指摘されて知ったんですが、当時は2chねるで軽く叩かれていました。
「この人(私)、最低。そんな酷いことするぐらいだったら、今から児童養護施設に入れたらいいのに」
こんな発言をする方は、児童養護施設が否応なしに18で出されることも当然知らないわけですし、であるのなら児童養護施設が具体的にどんな場所で、そこにいる子供達がどんな思いで過ごしているかなど、それこそご存知ないんだろとしか思いませんでしたから、悪口書かれても平気でしたけど。今それを思い出して思う事は、 2chで叩かれるなんて「やった!なかなか読まれていたんだな!」という感動しかないですが。
現実的には、娘も大学や専門学校に行くかもしれず、それに生活費ともなると、 18で家を出すと言うことの大変さが経済的にも切々と現実的に迫りくるものがあります。
思いつきで書いていて、ちょうど児童養護施設という文字を書いたので、そのまま書いてしまいますが。
やりたいことの1つとして、実親と直接話し合う機会が少ないであろう児童養護施設の子どもたちに、ボランティアとして「キャリア教育」を進めたいということもあります。我が家は諸々の事情で、娘が児童養護施設に行くかもしれなかったという経緯があるので、そこはなんとなく遠い存在ではないんですね。
彼らは、18で自分の生き方を決めないといけないというのに、社会に出て直面する「仕事」と言うものに対して、あまりにも教育は少ないと。
でも、それをやるからには、それこそ今やろうとしている仕事を「職業」として、私が成立させなければ、気持ちだけで進めることができません。
ちょっとめんどくさい話になるので、こんな事はHPでのブログに書くとして。
よそ行きの顔で専門家ぶってちょっとカッコつけて書くんじゃないかなぁと自分で想像しています。あ、そんなわけでこのブログのタイトルは「ケンシロウ日記」に変更します。別に今のHNと繋がっても構わないんですが、ま、別物としてね!
ハンドルネームは混乱しそうなのでとりあえずこのままでいいか!
大した内容でもありませんけど、ブログって更新すると大好きな人に会えるような気がしてやっぱり書くだけで気分がいいんです。持病の腕を大事にしながら書いていきたいです。
追記:
最近、所属している協会からくる求人メールで「キャリアコンサルタント」が目につくようになりました。学校関係とか、春先に人は動きますから。私は昨年、就活を始めたのが3月だったので、一通り終わってしまっていて。ああ、この時期なんだなと。
今でも、可能性はわずかでも受けるだけでも! と時々飛びつきたくなりますが、よくよく考えたら、職場でWordやExcelに音声入力ができるわけもなく。就職したら、業務内容の結果報告は書面で必ず必要ですし、この腕の持病を考えたら、フリーランスで働くのは必然だったのかなと思い始めています。
フリーランスで働かざるを得ない自分への言い聞かせだな、とも思いますけど!
最近では、HPはまだですが、知人や同業者を介して、カウンセリングも開始しています。諸々自分を励まして、来春に向かってペースを整えていきたいと思います。
来てくださってありがとうございました。
どうぞ良い1日をお過ごしください。
皆さんの今年の漢字一文字は何でしたか。
こんにちは。ご無沙汰しています。
こんなブログの更新を待ってくださっているかもしれない幾名かの方への、ご連絡の記事です。
前回のブログを更新して以降の友人とのやり取りで、もともと持病で痛みを感じる腕が、二の腕から指先まで両腕が強く痛むようになってしまい。それでもメールを打ち続ける必要があったため、ブログもツイッターも更新することができませんでした。この文章も音声入力で書いているんですが、文字訂正がうまくいかないときなど、どうしても手を使わざるを得ず。書かずに済む文字は一文字も打ちたくないぐらいの状態でして(^_^;)
この数ヶ月、ホームページが作れるという友人から提案を受け、仕事用のホームページを作ってもらっていました。作成してくれていたのは、小学校の時に仲が良かった地元の友人です。小学校時代以降、縁遠かったのが、数年前の同窓会で再会。今年の夏前の彼女の上京で会った際に、私の悲しい就活書類選考落ち話で盛り上がり、ホームページ作成の提案を受けるに至ったのでした。
しかし、前回の記事に書いたように、なかなか完成が見えず。
それで、私も言いにくいなあと思いつつ勇気を出し、「納期がいつになるか」と繰り返し友人に質問し回答を求めました。でも、友人なりの理由で「納期がいつになるとは答えられない」との返答。
このままでは、これまでの経過を振り返るに、年内の完成すら見えなくなってしまいます。
今更ながらようやく仕事脳に切り替えまして。
私の方でスケジュールを組み、一旦の友人なりの完成品を上げてもらう締切日を設定。その完成品を私が確認して、おそらく出るであろう修正を依頼して完成させてもらっての最終納期日を設定。ただし、その過程で、年内に仕上がる見通しが立たないと私が判断したら、その場で作業中止してもらう。という連絡を伝えました。
結果。中止を依頼。ホームページは引き継ぎました。請求された金額は支払いました。
友人は一生懸命やってくれました。それは間違いありません。
ただ、求める完成の方向性があまりに違っていた。 彼女はデザイン性の完成を求めていたのじゃないかな。分からないけど。私は単純にクライアントが迷わないものにしたかった。
いろいろな意味で反省の多いスタートとなりました。
第一線を退いてからのブランクも長いので、仕事脳を取り戻すための良い洗礼にもなったと思います。
友人のセンスであれば美しいサイトになっていたんですが、構成からやり直すので 9割、私が作ることになりかなり微妙です~。
ホームページ作成の技術などまるで知らないし、ましてや、この腕で自分で作ると考えると茫然となっていましたが、今日、 一日やってみたら、作業的には割と簡単に理解は出来たので、なんとかやれそうです。
ここ2ヶ月ほど、酷使し過ぎた腕の痛みには、正直、心の中で悲鳴をあげたくなる時もあるほどですが、意識してしっかり休憩も挟みながら、あっさりしたものを作ろうと思います。
来年の1月、世間での仕事始めの日にはここで公開を報告できるように、頑張りますね。
腕は痛みますが、待ってくださっているかなと思う幾人かの方にお会いできたみたいな気分で、やっぱり頑張ってこの記事書いてよかったです。
そう思わせてくださる方がいるというのはやはり幸せなことです。
応援してくださっている方、本当に本当にありがとうございます。
完成まで乞うご期待!?
追記:
皆さんの今年の漢字一文字は何でしたか。
私は迷わず「落」だな!
来年は「躍」とか「輝」とか「幸」にするぞー! おーっ!!
どうぞ良いお年をお迎えください。
重要な事は。「判断を早くする」こと。
「そして母が頑張るときはやるぞと決めました。 今日のシェリナナさんの記事を読んで思いました」
頂いたコメント。嬉しいなぁ。自分のつぶやきがほんの少しでも誰かの元気になれているのなら、それはとても私が励まされることです。いつも伝えてくださってどうもありがとう。
さて、リクルートを辞めてから私は2つの会社で契約社員として働くんですが、何度も会社名を出すのも何なので、リクルートをここでは前職と呼びます。フリーランスでやろうという決断の1つには、この会社で学んだことや仲間の影響が大きいから。
責任者として重要な事は。「判断を早くする」こと。
前職で、営業チーフというポジションになったときに、最初に教わった事は「判断を早くする」ということでした。
「やる」か「やらない」か「現時点での保留」 。そのいずれかをとにかく判断する。いや、判断するというより私には決断というイメージの方が近いですけど。責任が伴えば伴うほどに、判断には勇気と覚悟が必要になります。それはとても怖いことです。チーム全体に影響しますから。
編集長になってからの最初の仕事で、私は前編集長に一瞬で自分の立場と責任を理解させられました。
予算とメンバーの目標数値の決定です。詳細は覚えていませんけど。
版(支店)としての目標売り上げが私に与えられます。各メンバーの営業目標の数値設定。獲れるメンバーの目標数値はあげ、そうでないメンバーの目標数値は「その人にとっての」最大限高い目標数値を設定する。高すぎれば、各メンバーのやる気を奪う可能性が出てくるのですが、何せこの時期、本部から与えられる、版としての目標の数値が私には唖然とするほど高く。私も営業として動いていましたが、編集長としての仕事も激務で(営業チーフの時も凄まじく激務だったけどー)、営業に割く時間がなかなか取れず、私の数字貢献には限界があります。前月対比で毎月大きくアップしていく一方の目標数値です。
もちろん前月までの流れはありますので、比較対象が出来るんですが、版に大きくアップして下ろされる目標は個人に振り分けなければなりません。
前編集長に電話をしました。 「今月の予算とメンバーの目標数値をメールしたんですけどこれでいいですか」
このときの上司との電話の通話時間は一分ありませんでした。
「アホか! 版元長(編集長)はお前や。お前が決めろ! 他、何かあるか。ないなら切るぞ。俺は忙しいねん」プチッ。「ツー、ツー……」
読者の方には、そりゃそうだと思われるかもしれませんが、私にはもうビックリ仰天ですよ。だって1度もやったことない仕事ですよ。まして私の個人的な問題ではなくて、チームのメンバー全員に影響がある仕事ですよ。チェックぐらいしてくれてもいいんじゃないですか? というより、初めての、1回目のくらい、チェックしないといけないんじゃないですか!?こんな素人に任せてしまっていいんですかああああ!!!(号泣)
まぁ何が言いたいかと言うと。前置きです。
ホームページが進みません。もう何ヶ月足踏みをしていることか。ここまで来て、私には完成が見えなくなってきました。作ってくれている友人は、 11月頭からフルタイムでのバイトを入れています。来春から海外留学の予定もあって資金がいるそうです。バイトを入れたと聞いたとき、言葉にしない不安はありました。 11月中旬には納品希望でしたが、その時点でも、不具合が多く、まだとても後悔できる状態ではありませんでした。話し合いながら、それからさらに二度の納品予定日を過ぎ、現在では次の納品予定日が不明です。納品の前には、一旦完成させてもらって、それを私と第三者でチェックし修正点を修正してもらって、納品となります。
先日メールをしました。「〇ちゃんにとっての完成品をみられるのはいつか。(修正箇所が入る前提要2日で)納品はいつになるか、その2点について回答が欲しい」
返信は「某フォームの件でサイトに問い合わせをしているので、その回答を待って返信する」
……ホームページは年内に仕上がるんだろうか。
私はホームページの仕組みは全く知らなかったんですが、専門業者さんでならパッケージ化されているものが、私のホームページでは作成者である友人が作成ホームページサイトを使って、いろんなアプリをそこに付け足しながら作っているので、様々なバグや不具合が出てくることだろうことが分かってきました。
友人は、私の要望を叶えようと一生懸命やってくれています。
だけど。
もう何ヶ月も友人からの「あれをやって、これをやって」に一生懸命対応してきて、でもそもそもの料金設定の前提は、私のやることは確認と修正依頼だったはず。
私は、言いたいことが言えるタイプだと思っていました。いや、言えないものだなぁ。相手が悪意なく一生懸命やってくれてると思うと。バイトをしていて時間がないのも理解してしまう。
一方で私は思ってもいる。
納期がない仕事は趣味だ。
金銭の授受が発生する以上、納期には間に合わせなければならないし、万が一間に合わなければどのような対応を取り、どう決着するつもりなのか、クライアントに伝えなければならない。
でももっと言えば、ここまで完成しない1番の原因は。私にある。
「判断を早くする」。
私の判断の全てが遅かった。遅かったと言う以前に、判断すらしていなかったような気がする。
ここに至るまでに判断しなければならないこと、確認しなければならない事をおざなりにしていた私のミスだ。私はいつの間に仕事に対してこんなに甘くなってしまったんだろう。納期がない仕事は趣味。これは私自身に叩きつけたい言葉でもあります。
今、大きく深呼吸をしました。
再度、友人に納期の確認をしよう。
友人の同じ質問の繰り返しってすごく言いにくい。でもちゃんともう一度言わなくちゃ。
自戒を込めて書くんですけど。
人って、我慢し過ぎたり、言いたいことが言えないことが続いていくと、言えない相手を悪者にしてしまうような心理があります。でもそれは違う。よぎった本心を言わない選択をしたのは自分です。
作成者である友人がフルタイムでのバイトを始めたと聞いたとき、それで納期に間に合うのか、私は不安になりながらも「頑張ってね」と言った。納期がずれ込むときに、私はちゃんと「これでは困る」とはっきりした意思表示として相手に伝えたか。いや、そこまでは伝えなかった。
それが現在の結果を招いているだけです。私が仕事を依頼しているのに、仕事としての認識が甘すぎた。
鈍っている意識を覚醒させてもらえるいい経験
だな。
これから彼女にもう一度、質問をしようと思います。
「フォームについての回答は来ましたか。まだなら何時頃来るか問い合わせお願いします。私には納期の見込みが全く見えていません。現段階で納期はいつごろになりそうだと考えていますか」
一方で、私はいつまでなら完成を待てるのかを決める。
その間は、もっと本気で、勉強を進めよう。私は、カウンセリングもキャリア教育も、この分野での経験が浅いのだから。それでも料金を頂く気でいるのなら、私はもっともっと必死に勉強しないといけない。
彼女からの回答によって、ホームページ完成が来年に可能性があったらここはもう判断しよう。諦める。専門業者に頼む。支払った金額の問題だけではなくて、この数ヶ月の私の時間も努力も無駄になることを考えると本当に辛い。でもこだわるべきはそこじゃないはず。支度金の予算は限られているけど、不安は捨てよう。
そして。大切に考えよう。私は彼女との友情を維持する。
という、本日の決意でした。来てくださってありがとうございます。
よしっ。まずは彼女にメールしよう。がんばりまーす!!
追記:書き終えて思うことですが、「判断を早くする」のは、仕事に関わらずのことだと思います。その癖をつけておくと、自分の心の整理にとても役立ちます。そういう話はいずれまた。
画像はツイッター@pastel11flower さん
瞬殺怒涛の書類選考落ちを続ける、その後の私の転職活動は。
お越しくださってありがとうございます。
なかなか更新できませんでした。
途中まで書いていた記事を、少しですけどせっかく書いていたので最後にコピペさせてください。
更新できなかったのは。腕と手の痛みが悪化していたからです。ちょっと持病で。これは音声入力で書いていますが、音声入力を使いこなせず、どうしてもマウスを使っての訂正作業が出てくるので、大事をとって控えていました。
そしてなぜ腕がそこまで悪化していたかと言うと。
面接にすら行き着くことのない就職を諦めて
面接にすら行き着くことのない就職を諦めて、フリーランスで行こうと覚悟しつつ、ホームページの作成作業をすすめていたからです。実際に作るのは私じゃないんですけど。手と腕がこんななので、しかも開始にかかる費用は限られているので。ホームページの作成は、専門業者ではなく、詳しいというフリーで別業種の仕事をしている友人に、先方の言い値でお願いすることにしました。
やりとりにメールを使うことが多く、その情報量も多く、でも業者さんではないので、私がやらなければ進まないことが想像以上に多く。現在も一生懸命やっていますが、なかなか思うようには進んでいません。
一時は、これ以上、進められない。と、限界を感じ、契約時双方で確認していた、当方の手付け放棄(手付半額前払い、完成引き渡し後残り支払)で逃げ出したい気持ちにもなり、先方にそれを伝えるところまでいきましたが、もう少しなので何とか頑張りたいです。
仕事の内容としては、キャリアコンサルタントの資格を活かしたいし、小中学校に特化した「キャリア教育」の推進にも力を入れていきたいと思っています。
でも、ホームページ作成前のこれらメニューについても、相当悩み、二転三転しました。
私はツイッターもやっていますが、見かけたツイートの中に「「親の会」というのに入ったけど、やっぱり孤独。合わなかった」というものを見たことがあったんですよ。
そういう人たちをきっちりフォローできるような仕組み作りも併せて出来ないだろうかと。月に1回程度開催して、集える人が集う。あたたかくてホッと息が吹き返せるような場所。そういうものを作れたらいいなと。しかもできるだけ低料金で。
散々模索しました。でも。結果断念しました。
考える低料金では、継続することが困難だと判断したからです。思いを実現するには、それなりの料金設定が必要となりました。しかも、毎月行うには、私ひとりで運営していくには限界があります。人手がいる。でも人件費を出すだけの経済的体力がない。今はまだ。
カウンセリング料金についても設定は本当に大変です。
巷のカウンセリング料金はどうしてあんなに高いんだろうとも思っていました。
でも実際に自分が設定しようとすると、実に難しい。表面には見えない経費があちこちにありました。知らないことが多すぎました。
勉強も努力も継続して行われなければいけない。これらの費用は高額です。
無料のもの、ワンコインのもの、高い方で言えば1万円/40分。最高額では5万円/30分のものまで勉強のために受けました(5万円/30分は著名な方です)。
専門的なものは万単位での受講のものがほとんど。
そして実際、自分がカウンセリングを受けたり、セミナーを受けたりする中で学んだ事は、高額なものが良いとは限らないけれど、良いものは高額であることでした。無料のものに関しては、(私にとっては)良いものに当たる確率が高くはなかったということです。
(主催者が講師に別途で講師料を払っている場合は無料ないし安く参加できますし、上記はあくまで個人的主観。求めるものに応じて金額設定は違い、私が望むものは高額だっただけで、無料であっても簡単かつ良質なセミナーもありました。)
来年の1月13日にも渋谷にある会場を予約し、セミナーを予定していましたが、ホームページの完成が遅れており告知が間に合わず、これも断念しました。
なんだか何を書いてるのか分からなくなりますが、一つ一つ片付けるべく日々向かい合っている最中です。こうして個人で細々と、でも大量の時間を投入して進めていると、孤独も感じますし、つくづく私はチームで働くことが好きだったんだなと気付かされますが、いつか小さくともチームと呼べる仲間を作れるよう、がんばりたいです。
なお、とん挫しなければの話ですが、ホームページでは顔出しでご挨拶します。
ある本には、写真写りを良くしすぎると、直接会ったときにイメージダウンしてしまうので、本人画像は、写真よりも実物に会った時の印象が良い方が良い。と書いてありました。
ですが私に迷いはありません。 お会いした時の失望の方を取ります。カメラマンである友人に「どれだけ修正してもいい。ガンガン修正して!」と頼みました。
親しい友人に見せても、顔が引きつっていると指摘されていますし、実際撮影時、いちども自然に笑えなかったので、修正にも限りがありますが…。
実物とどうなのか、遠からず、お目にかかる機会があれば幸いです。
私には娘がいますが、こちらが何事もなく順風満帆な学校生活が遅れているかといえば、ご存知の方にはご想像通りのなかなかに大変な状況も繰り広げられるわけですから、油断もできません。相変わらず鍛えられる人生です。
なんだか業務報告みたいな記事で失望させていないか心配です。
重ね重ねすみません。
以下、前記事の続きに書きかけていたものです。
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さて。私の転職活動は。
その後も瞬殺の書類選考落ちを繰り返していました。
今後の就活選択を考えなければ。対策を練る。
①面接試験にたどり着いていない以上、データが出ないんだけど、書類選考落ち50回を目標にする。50回でダメなら100回を目標にする。若い人だって何十社もだめだったりするのに、 50代の私が思うように行くわけない現実をもっと理解する。
② 老い先短いのにこんなことに時間は掛けられない。「希望職種で当たろうか」と言ってくれている先輩に頼る。「うちが気に入らないなら他も紹介できるよ」
③ 希望値をそれぞれ下げる。報酬、勤務日数、勤務時間、勤務先の安定性。
②であれば即決まるだろう。人事権もある人だし、社内に適応業務の新設も考えているという。
一番の問題は、わかっている。自覚している。③が譲れないことなんだ。ぶっちゃけ、元先輩や元同僚に恥ずかしくて申し訳なくて、私の条件が伝えられない。でも私が望む条件を提示できる、そんな会社どこにあるんだって話だけど、たまにあるんだって。落ちた会社は報酬、勤務日数、勤務時間、勤務先の安定性。全てにおいて、理想的なものでした。 ええ!書類選考すら通れませんでしたけど!
こう見えて(どう見えて?)、私は体が強くない。近年ますますそれは体感している。
例えばカウンセリング業務であれば、その時間全力で相手に向かい合うだけの体力と気力が維持できる状態で働かないといけない。企業に属してのフルタイムでのそれは、おそらく私には過酷だ。あと通勤ラッシュの電車は無理。田舎者の私にはあまりにも過酷だ。
夫にこんな話をすれば、 「就職なめてる」「さすがバブル(世代)」と散々な皮肉を言われるのだけど、人様が定年退職の話をする世代でこれから新しいことを始めようとするなら、これくらい図々しくないなら就職してから後悔するし、周りにも迷惑をかけかねない。
今現在も、子どもに手がかからなくなったとは言え「これを手がかからなくなったと言っていいのであろうか?!」 と言う程にはかかっている。
人の生き方はそれぞれですが、今の私は、もうしばらく私の人生での優先順位の1位は子どもなんです。(夢の自立をさせたら第一は私自身だ!!)
優先順位の第1位が子どもだなんてあんまり言いたくないんですけどね、本当は。
なぜなら、誰もが優先順位の第1位は私自身だと言えるような世の中なったらいいなと思っているから。皆に。特に女性にはそんなふうになってもらいたいなと思うから。
そしてどうして「女性には」なのかと言うと。やっぱりどうしても男性に比べて女性の方が、直接的に関わりを持つライフイベント(結婚、妊娠、出産、介護その他・ライフイベント自体は男性も変わらないはずなのだけど「直接的に関わりを持つ」という部分で現代ではまだ性差は大きい)が多く、ライフスタイルが変化しやすいからです。
我が家の場合は「優先順位の第1位は私自身」を目標にするにはもう少し時間がかかるということです。妥協とかあきらめではなく、私の選択として。
リクルートの同期に、怒涛の書類選考落ちのこの惨状を話したら「シェリナナちゃん、自分でやったらいいのに」とあっさり言われました。ご承知の通り、リクルートの人って退職後独立する人多いですから簡単に言ってくれちゃう。その同期も会社経営しているし。当時一緒に働いていた人も会社を辞めた人は転職した人より起業した人の方が多いです。
「自分でやれよ」と聞く言われるのは1人や2人じゃなく、友人もそう言って背中押してくれる。うーむ。
でも私の理想の働き方は、信頼できる上司の下、大きな枠組みの中で自由に泳がせてもらえるように仕事をすることなのです。しかし今や、信頼できる上司を願う以前に、企業に拾ってすらもらえないこの現実。せめて面接までいけたらどうにか力業で組み伏せるのに。ある程度仕上がっているという自負がある履歴書においての書類選考で落とされていたら太刀打ちできない。
テレビ番組で、 80%の成約率を誇るという凄腕結婚相談所の女性が言っていた。「こういうんですよ(自覚させるために)。結婚相手に求める希望は年収1,000万以上ね! じゃあ、ハゲでもデブでも文句はないわね!って」
文字にするとハゲが悪いみたいだけど、そういうことじゃないってわかっているから、みんな爆笑する。
婚活と就活って少し似ている気がした。いろんな意味で。
助けて欲しくて。私はカウンセラー難民だった。
前回記事からの続きです。
その気持ちがわかると言われても何の解決にもならない
「子供の話をして、ただ(その気持ちが)わかると言われても何の解決にもならない」
マイコ先生が印象に残っていたという私の言葉。
講座受講の初期のことです。
カウンセリングに重要なのは「受容」と「共感」。
先生のメールに書いてあった私の発言自体は覚えていませんが、受講生のくせに、その内容に腹が立ったのを覚えています。
講座の受講も終え、勉強を重ねた身とすれば、答えはその人自身の中にしかないことを知っているし、その意味で、「受容」と「共感」の意味や必要性、重要さが身にしみて分かるのですが(号泣で反省)、当時の私は「共感」が大事と言われて、言いようもないフツフツとした思いに襲われていました。
私はカウンセラー難民だった。
数年前、いや正確に思い出そう。私はカウンセラー難民だったといえます。2010年~2011年です。
子育てに疲労困憊していました。自力でもうどうしたらいいのか分からなくなっていたし、日々が地獄のようにきつかった。学校、役所、子育て支援先や児童相談所や悩み相談室。挙句、民生委員の方にまで相談の幅を広げても、私の中で明確化されてもいない望む支援にたどり着くのは、途方もなく遠いことでした。実際、当時は支援がどうとかというレベルではなくて、ただ、少しでもここから助けてほしいという気持ち。もう限界なんです。
「そうですか。お気持ちよくわかります」と、気の毒そうな顔はされるものの、誰もここから楽になんてしてくれない。わかるって何がわかるの? これほど限界を感じているのに!! 当たり障りのない、もうすでにやり尽くした子育てのアドバイスや提案を受けながら、今度こそ、今度こその願いは崩れ、私は次第に無表情になっていきます。
こんなにも苦しいのに。どうにかしたいとあがいているのに。苦しい自分を楽にする答えがどこにもない。
諸事情で夫の助けを得ることもできず、愚痴を吐露することさえ叶わず。周囲にいてくれた友だちに支えられていたのも力を得ていたことも間違いないことですが、それでも、この子育てについての問題を解決するのは自分でしかなくて。孤独でした。恐ろしいくらいの孤独でした。
たった1人で、目の前の黒く大きなでこぼこの壁に圧倒されながら、その壁をよじ登っては落ち、よじ登っては落ち、を無駄に繰り返しているみたいでした。もう立ち上がれないほど痛めつけられて心はアザだらけ。未来に対して、光が見えなくなりそうだった。見えない光を信じて、必死で立ち上がるのだけど、あまりに見通しが悪くて心細くて。
この状況を変えるために、私はどう行動したらいいのか。考えられるあらゆる事は頑張ってきた。でも、もう限界なんです。ここからどう動いたらいいのかを具体的な方法教えてください。
「そうですか。お気持ちよく分かります」
今になって思えば、当時、私が受けていたカウンセリングと呼んだものの多くは「無料」のものばかりだったので、そもそものスタンスが違ったのかもしれません。問題解決における私の課題を明確にしてくれたり、それじゃあどのような方策を立てればいいかとか、そういうことではなく、「いつでも話を聞きますよ」「話すだけでも楽になるから」という受け皿が大事で、私が期待した道筋やゴール地点が違っていたのかもしれません。実際、話すことは思考を整理することにもなるので、話しているうちにスッキリしたり、問題解決の糸口を自分で見つけられる、というのはよくあることですから。
その後、カウンセリングについても勉強を重ねると、彼ら彼女らの言動には先があったのかもしれないと思う部分もあるけれど、「助けてほしい」一心でどうにかカウンセラーのもとに、それこそ這うようにして大袈裟ではなく必死でたどり着く私が、失望した気持ちを抱えてもう一度同じカウンセラーの元を訪ねることはとても苦しいことでした。
それでも、有料でカウンセリングを受けるという発想がなかった私は、役所、子育て支援先や児童相談所や悩み相談室をぐるぐる回り、結果、絶大なる信頼を寄せることになる私とってのカウンセラーさん見つける事にはなるのですが。
私は子育てで、どうしていいのか分からなくて本当に困っていたし、しかもその困りは半端なく、もう子どもと一緒に暮らしていくことは無理なのではないかというところまで追い詰められていたので、あそこまで気持ちを奮い立たせて、「私の」「カウンセラー」を見つけることができはしましたが。自分で言うのもですけど、相当な精神力がなければ、日常生活でヘトヘトボロボロなのに、傷つけられることを求めて「相談所」難民することなんて、余程のマゾヒストでなければ出来る事ではないと思いますよ。
……。
読者の方には、「ああ。このひとMなんだ」、などと短絡的に結論づけられることのないよう祈っています。
私と違って早々に合格をしていたキャリコンの講座の同期女性たちと最近になって(しつこいけど書こう、私以外の三人は初回で国家試験合格!)
一緒に飲む機会があり、マイコ先生のお話もしたんですが(休講振替でお世話になった先生なので他の同期はマイコ先生を知りません)、先生がおっしゃった 「子どもの話とかして、ただわかると言われても何の解決にもならない」と私が言ったという同じことを、一人が覚えていました。もともと産業カウンセラーの資格を持ち働いている方です。
「あ!私それ覚えてる。私、そのテーブルに一緒にいたんです。1番最初の時の講座なんですよ。それで、シェリナナさんがものすごく本気で話していて、ああこの人は何度も何度もその機会 (カウンセリング、相談)に傷つけられてきんだろうな、って思ったの。すごく印象に残ってる」
講座は、 6人程度でグループを作り、題材に応じてテーブルごとにディスカッションを行いながら進行していくものでした。
私自身がどういった形で発言したのか……。やはりはっきりとは覚えていません。
無理やり記憶をたどればテーブルのディスカッションではなく、全員に向けて話をしているので、個人として挙手しての発言だったのか、あるいはグループの代表として話をまとめたときのものに、自分の意見を無理矢理ねじこんでしまったのか。
マイコ先生と同期の2人から証言が取れるという事は、私は怒っていたんでしょうね。きっと。(^^;)
今であれば、カウンセラーが「共感」と「受容」をもってクライアントと向き合い、それによってクライアントが安心して自分のことを開示できる状態を作る。その関係構築を作ることがカウンセリング初期においてどれだけ大切なことであるかは当然として、いかに難しいことなのかということを、重みを持って受け止める次第ですが。
さて。私の転職活動は、その後も瞬殺の書類選考落ちを繰り返していました。
続きます。
eikosatoko さんへ
いつも本当にありがとうございます。コメント欄からの返信が出来ないみたいでこちらに失礼します。eikosatokoさんが思っておられる以上に、私は力をいただいています。
画像by pastel flower さん
憧れの先生と二人でランチできた理由。
すっかり間が空いてしまいましたが、皆様お元気でお過ごしでしょうか!
毎日書くと宣誓までしておいて、もう前回から20日も経っていて心からびっくりしています。自分のことながら呆れました。へへへ。立ち直りは早い方なので今日からまた書きます。どうぞよろしくお願いいたします。
私は今週2回点滴を受けましたが、もう、うっかり元気です。今「すっかり元気」と書こうとしたところ、利用している音声入力で、「うっかり元気」と変換されてしまい。しかし思いのほか気に入ったので、このままいきます! あまり元気になりすぎてもこの年になると疲れますし!
前回、先生から素敵な言葉をいただいた話をして、あの勢いで早くリアルタイムに記事を追いつかせたかったんですが、記事の季節はまだ梅雨あたりかしら (^_^;)
今現在、11月のこの葛藤を伝えたい気持ちもあるんですが、遠いっ、遠いわー。就活に如何に工夫をしたか、しかし書類選考の壁を突破できないまま、どんなに悔しさに打ち震えたことか~。全敗の今、何を考えているかに早く追いつかせたいです。
それでは前回の記事の続きを。
読みにくいこんな記事に、来てくださった皆さま、本当にありがとうございます。
心から御礼申し上げます。
「シェリナナちゃんじゃないとできないことがあるわ」
「苦しんでいるお母さん方の力になること」
マイコ先生に言われた言葉は、なんとなく私の心に引っかかり、やがてそれはそっと根を下ろすように、そこにあるようになりました。強い主張もせずに。
さて。マイコ先生とは、ご承知の通り個人的にもお会いしているんですけど、それが嬉しくてツイッターでそのことを話したら、あるフォロワーさんから「そんな先生とどうしてランチができるんですか」という質問を受けました。確かにそうだな。私は憧れている方だし、会話をさせてもらうだけでも勉強になるしメリットだけだし。
だけど先生にとって私は補講の生徒にすぎない。数ヶ月毎週顔を合わせる担当クラスの生徒でもなく、たった一日だけの生徒でした。
ご挨拶以上の話をしたこともない。だからランチのお誘いは最初から断られるのは当然と思っていました。
フォロワーさんが疑問に思われたことを私も思い、夫からも同じことを聞かれて……。
以下は、その失礼ながらの質問も含む、先生とのメールのやり取りの一部です。
RE:
シェリナナさま
お喋りにあっという間の2時間でしたね。
沢山のお話聞かせていただきありがとうございました。
昨夜はいろいろ考えました。
どんなにか大変な時間を過ごされてきたことか
引き受ける役割が本当に多いシェリナナさんの人生ですが
何か大切な意味があるように感じました。
これからは楽しめる時間が増えていくステージに入ってきたように思います。
それが何なのか、これからですね。
…………
また気楽にランチしましょう!
RE:
マイコ先生
先生からのメールを何回も読みました。「何か大切な意味がある」
誰もが何かの意味を持って生きているんでしょうか。焦りすぎずにこれからを考えてみようと思いました。
私の50歳を「まだまだこれから何でもできる」とおっしゃってくださった言葉も繰り返し思い出しています。私の40代は、失った10数年だったのような気がしていましたが、本当は何も失ってなどなく、むしろ得てきた40代だったのかもしれないなって。絶対に繰り返したくはない40代ですけど笑。
60も70も。80、90の方からしたら「何でもできる」と言われるのかもしれませんね。それはきっと素敵なことで。希望をもってこれからをがんばってみます。
先生。昨夜、夫に言われました。「そんな素敵な先生、お忙しいだろうによく会ってもらえたね。シェリナナには憧れの人に会うってメリットだけだけど、先生にメリットは何もないじゃん。普通、時間作らないよ。なんで?」なんで、と聞かれて、本当にと。
改めてお時間をつくっていただきありがとうございました。
RE:
シェリナナさま
メールありがとうございました。
シェリナナさんのことはとても印象的で気になっていたのはあります。
オブザーブで行った1回目の講座でたまたま私が座っていた近くにいらして、「子どもの話とかして、ただ(あなたの気持ちが)わかると言われても何の解決にもならない」というようなことを真剣な表情で話していましたね。
最後の時も一旦中断せざるを得ないことを苦しそうに、でも堂々と凛として話された姿が印象的でした。それは人生に何か重いものを抱えていて、逃げたい思いや弱さも知っていながら、顔を上げていこうとする姿のようでした。
「覚悟」。そんな言葉が浮かびました。覚悟をもって生きている人は魅力的ですよ。だから会う目的もカウンセラーとしての私を求めているわけではないことはわかっていました。
たしかに仕事の上ではメリット、デメリットってあるかもしれませんがこれは仕事ではありませんから。人の縁に理由はありませんよね。ご主人にそう言ってあげてください(笑)
マイコ先生
おはようございます。返信ありがとうございました。
先生がお会いしてくださった理由。文字を拝見しながら、涙が出ました。どうして泣くんだろうと自分で不思議に思いましたが、それなりに当時は当時できつかったんですね。それを自分が知らないところで感じてくれていた人があそこにいたのだと思いました。先生が感じてくださっていたと知ることができて、上手くいえませんが、あそこに一人でいたわけではなかったと気付かされる感じでしょうか。力をいただくような気持ちになりました。
昨日も娘のトラブルを学校から聞かされ、娘を叱り飛ばしたりの散々な一日でしたが、先生のメールに救われながら終えられました。返信どうもありがとうございました。またぜひ……。
続きます。
次からはすぐに続けますので、どうか懲りずにまたお越しください。ありがとうございました。
画像by pastel flower さん